fc2ブログ

ネタつつき224  - 初心者から卒業する方法

 私のメインターゲットは初心者なので、初心者から卒業する方法について書きます。初心者を卒業するには、初心者の定義を知るところから始まります。私が考える初心者とは、専門書をスラスラ読めない状態です。例えば、プログラミングでは、文法全てとほとんどのライブラリを把握し、自分で成長できる状態でない人が初心者です。つまり私は、自己成長性を指標としているのです。何故ならば、初心者の定義を辞書で調べると「習い始めで未熟なこと」と書いてあるからです。
 情報技術者の専門家の視点でいうと、未熟とは自分で学習ができない人の事です。というのも、変化が速い情報技術において、自分で成長できるのが最低条件だからです。それ故に、誰かからに手取り足取り教えてもらわないとできない人は、未熟者だと考えています。
 私が学生だった時の事を思い出してみると、先生に教えてもらわないと何もわからない状態でした。その時は、右も左もわからず、見るものすべてが新しくて、胸がときめきました。初心者というと悪いイメージを持っている人もいますが、初心者の時に感じた胸のときめきがなければ、この先成長し続けることはできません。実は、初めてが一番重要なのです。ですから、卒業する前に初心者の時の心を忘れないように注意してください。
 初心者の時は楽しいので卒業するのは惜しいですが、人はいつか卒業しなくてはなりません。卒業する方法は簡単です。今まで書いた初心者の定義に満たない人になればいいのです。方法はいくつもありますが、共通していえることを書きます。
 先ずは全体像を知ります。学校の勉強のようにしていては、時間がいくらあっても足りません。コツコツすることは良い事のように思えますが、私たちはもう学生ではありません。一つずつ細かく覚えるのではなく、一気に文法とライブラリを見ます。MSDNライブラリといった公式のマニュアルが便利ですが、初心者の時はわからないと思いますので、分厚い専門書を一度速読します。この時選ぶ専門書は、「網羅したもの」です。特化した専門書を読むと視野が狭くなりますので注意してください。
 次に、専門書に書いてあるサンプルを全てプログラミングして、自分が理解している部分と理解していない部分を把握します。初心者の頃は、自分が知っている知識にこだわってしまいますが、自分が知らない事を把握するのは重要です。そうしないと、何時まで経っても成長できません。見かけ上成長しても、それはまやかしで、本当の意味の習得ができませんし、今後の成長も見込めません。
 今度はもう一度全体像を速読してから、公式マニュアルと専門書を見ながら、自分でサンプルプログラムを考えてプログラミングしましょう。そうすれば、初心者を卒業できます。これはどんな知識の獲得にも言える事だと思います。
 初心者の頃は、少しの分野の知識であっても山のように見えると思いますが、慣れてくると一気に習得できるようになるので安心してください。慣れると新しいプログラミング言語が出ても、ちょっと仕様書を速読すれば使えるようになります。速読になれれば、1時間に100ページ~200ページぐらいのスピードは余裕になるので、1日もあればだいぶ使えます。そして、1週間もあれば、余裕をもって実務で使えるようになります。ですから、初心者の状態を楽しみつつ、着実に卒業しましょう。そうすれば、きっと人生も楽しくなります。
スポンサーサイト



テーマ : プログラミング
ジャンル : コンピュータ

ネタつつき223  - 国家システムの分析

 残念ながら、日本人は国家システムを真面目に考えていません。政治評論家などの人から、真面目に考えているといわれるかもしれませんが、情報科学的見地および経営論から見れば、日本の国家システムは基礎要件すら満たせないものであると断言できますので、その反論は無意味です。戦後70年近くも何をしていたのかと問い正したいです。
 システムのもっとも基礎となる要件は何でしょうか?それは、「国民の総意に基づき国民の生命や財産を守る」だと思います。しかしながら、現在の日本の国家システムはそうなっておりません。それどころか、日本に危害を加える危険なシステムであるといっても過言ではありません。そのことについて詳細に論じていきます。
 より精密に議論するためには、国家システムを関数として扱わねばなりません。国家システムを関数fとします。引数は国民が消費するリソース(お金、時間、生命)です。戻り値は国民が得られるもの(経済効果、安全性など)です。この関数が満たすべき条件とは何かを考えると、国家システムが満たすべき要件がわかります。なお、システムのパラメーターと戻り値は関数です。
 誰でも合意できる条件を提示すると、国家システムをf、必要なリソース(引数)をp、得られる利潤をrとすると・・・

p( ) < r( ) = p < f( p( ) ) ( )
国家システムが生み出す利益は、必要なリソース以上でなければならない。

この条件を満たすのが国家システムであるべきです。しかしながら、現実はそうなっていません。現状は一部の人々だけが利益を得る仕組みになっています。これでは封建社会とほぼ同じ状態です。忘れてならない事は、日本は民主主義国家だという事です。日本は建前上そうなっていますが、議会制民主主義を採用しており、そのセキュリティが零なので、議員を攻撃することにより容易にクラッキングできてしまいます。
 つまり、民主主義の要件である「国民の意見」が、議員を通して一部の人の意見となっています。国民の数よりも議員の数の方が少ないわけですから、議員の都合により決定されている時点で民主主義とは言えません。かといって、議員を選ばないとコミュニケーションコストがかかります。これを防ぐ方法は、「国民が議員の権利を委譲して」任せるほかありませんが、日本人は無思考だったので、議員が国民の総意に背いた場合の対処について何も考えられていません。選挙で選べばいいといわれていますが、それは「受かりさえすれば任期の間何をしてもいい」という事を意味しており、非常に馬鹿げた事態だといえます。貴方のPCは、バグがあっても4年間放置しますか?4年間要らないサービスをお金を支払って受けますか?そうする人はいないでしょう。そういった観点から、日本の国家システムは、システムとさえ言えない酷い代物だといえます。
 話が抽象的で分かりにくいと思いますので、近年の事例を挙げます。民主政権はマニフェストの逆を実行したといわれていますが、何時でも敗れるマニフェストを基に行われる選挙システムは妥当といえますか?号泣県議員は報酬に見合った仕事をしているのでしょうか?これら二つに共通していえることは、コストに見合ったリターンがない = p( ) > r( )という点です。
 この馬鹿げた現状の理由は、特別な悪人がいたわけではありません。日本人はそう考えがちですが、「システムがそうなっているから」です。現状をわかりやすいように例えると、「泥棒に窃盗罪を作らせている」といえます。例えに品がありませんが、ゲーデルの不完全性定理により、本人に報酬や身分保証を作らせたら不完全なものができるという事です。本来は国民が考えるべきことを放棄しているのが問題なのです。
 まだわかりにくいと思いますので、日常から考えてみましょう。皆様は商品やサービスを購入するとき、何も考えずに購入しますか?そういう人は稀で、普通の人は得られるメリットと支払うお金を天秤にかけます。その普通の考えが、日本の国家システムにありません。現状は要らないサービスを相手のいい値で買っているのと同じ状態です。
 問題はこれだけではありません。そもそもシステムは、「より安くより高品質に進化」せねばなりません。しかしながら、日本の国家システムは、「より高くより低品質に進化」しています。税金は年々に上がり、受けられるサービスの質もどんどん下がっています。おまけに国家システムの場合、人命にかかわりますが、人命よりも一部の人の利権だけが優先されています。いかに異常なのかわかると思います。
 ほかに論じるべきことはありますが、きりがないので纏めます。日本の国家システムの現状は、「PCを壊し続けるOS」だといえます。自然を破壊し、人命を無視し、国民の時間を奪い、外敵からの脅威が増加し続けています。おまけに、税金は上がる一方で、費用対効果がまるで考えられていません。これは日本人の無思考が生んだ至極当然の結果です。一刻も早く、真面目に国家システムについて考えましょう。

テーマ : プログラミング
ジャンル : コンピュータ

ネタつつき222  - 研究は失敗の代名詞

 今回は研究についての誤解を解くために書きます。研究というと、成功のイメージでとらえる人が多いです。しかし実際はその反対で、研究とは失敗だと言えます。
 研究は既存の概念を否定することから始めます。その時点で失敗と見做すこともできます。何故ならば、成功という概念は一般的に、正しいという概念で結びつけられて考えられているので、現時点で正しくない事をしようとしている時点で、論理学的には過ちだといえるからです。確率的にいっても、成功する確率は極めて低いです。
 誤解がないように書きますが、だからといって、研究者自身は、大量の根拠なき自信と、少量の論理的根拠(ほぼ直観といってもよい)をもって研究を始めます。小保方さんがSTAP細胞をあると断言しているのが良い例です。あれは研究者にとってあたりまえの行為です。もし正しくないと思いつつ研究しているのであれば、それは研究ではなくただの詐欺です。
 研究で行う事は、夥しい数の失敗の繰り返しです。研究はわからないものを対象にするのですから、失敗を繰り返して、無限に見える選択肢を徐々に減らしていくほかありません。人間の知力は有限なので、そうするしかないのです。もし神様ならば、答えを知っているので、答えを提示するだけでしょう。しかし、真実が見えない人間は、無知という名の暗闇の中、盲目的に答えを探して彷徨うほかありません。
 研究には終わりはありません。人間が成功したと思える時点はありますが、それは人間の錯覚にすぎません。世界の真理は人間の手の届かないところにあります。将来、自分よりも優秀な人が、その研究成果を否定して新しい研究を始めます。つまり、本当の意味で成功した研究なんてそもそも存在しないのです。全ての研究は、未来の人類の踏み台にすぎません。その事実を受け入れ、失敗する勇気を持つ者だけが子孫に贈物をできるのです。
 これを読んだ人は、「研究者は何故そんな虚しい事をするのだろうか」と疑問に思うでしょう。その答えは人それぞれですが、おそらく共通しているのは「未来を創る唯一の方法」と考えている事でしょう。
 誰かが新しい物事を開拓しなければ人類は滅びます。神のように万能ではない、小さな存在である人間はそうするしか生きる術がありません。しかし、研究は失敗の代名詞ともいえる行為なので、勇気ある人にしかできません。その勇気を持つ人を嘲笑い、攻撃し、未来を亡ぼそうとしているのが日本の現状です。勇気がない人を責めはしませんが、せめて未来を壊す愚行だけは止めてほしいと私は切に願っています。勇気を持たないならば、日本の未来のために、勇気を持つ人を応援する。それが良識ある大人のすることではないでしょうか?

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

ネタつつき221  - 研究とは何か

 一連のSTAP細胞報道を見ていて、未知なるものを研究したことがない人たちが、勝手に日本の研究者全員を不正だと決めつけている現状が許せないので、未知なる物事の研究とは何かについて書こうと思いました。
 未知なるものを研究したことがある人から見れば、STAP細胞報道は全てが的外れです。未知なる事象を研究するという行為の意味をまるで分かっていないと思います。常識的におかしいと騒いだり、小保方さん一人の責任にしたり、画像が間違っているなどと騒いだりするのは非常に的外れであり、滑稽に映ります。
 未知なる事象を研究するときは、既存の概念を否定することから始まります。何故ならば、既知でない物事を未知と呼ぶからです。従って、既存の概念で縛られている人の目には、許せない行為だとか、愚かな行為だとか、変人だとか、とにかく良い印象を与えません。また、否定材料を出す方は実に簡単です。否定するときは、既知の概念の否定だから、既知の概念を言えばいいだけです。これは、未知なるものを研究したことがある人にとって常識であって、この手の行為はあまりに馬鹿らしいです。
 「小保方さん」という属人的な発想をしている点もおかしいです。何故ならば、自然は人間の都合で動いておらず、個人の行為の結果とは無関係に存在するからです。従って、小保方さんという一人の人間が再現できないからといって、STAP細胞という事象の否定にはなりません。それ故に、STAP細胞報道は的外れです。研究の経験がない人は、わかりにくいと思いますので、もっと詳しく書きます。
 仮に、あるとき小保方さんが、STAP現象と呼ばれる事象を、偶然に発見したとします。この場合、STAP現象の真理がわからない彼女は間違った仮説を立て、色々な実験を試みて再現しようとします。しかし、人間の知力は限られているので、実験が偶然成功したことがわからず、それが真実だと思います。この場合彼女は、将来再現実験に失敗することになります。この時、STAP現象は存在するのでしょうか?しないのでしょうか?答えはお分かりだと思います。人間の失敗有無にかかわらず、真理はそこにあります。つまり、小保方さん一人が失敗したからといって、STAP現象とSTAP細胞の存在の有無が左右されることがないのです。仮に成功したとしても、それは自然の一部であり第1歩にすぎません。常に不確定要素が付きまといます。現時点で正しいと思っていても、将来否定される事が十分にあり得ます。科学は絶対の真理ではありません。
 このことについて、非理論的に否定的な報道がなされていますが、人間が行える研究なんてものはそういうものだから、本来は騒ぐ必要がありません。理論的に考えるのであれば、失敗しても成功しても、不確定要素が付きまとう、不完全な理論にすぎません。そもそも、人間の理論に完璧なものなんて1つもありません。そんなものを信じて騒ぐのは非常に愚かな事です。人間を過剰評価し、自然を甘く見すぎています。従って、1人の人間をどうこう言う時点で的外れだといえます。
 纏めます。日本の報道機関は、人間を過剰評価して、自然を甘く見ています。その浅はかな考え故に、未知なる事象の研究の意味を理解しないまま、非理論的に小保方さんに対して人外の力を求めて責めたり、日本の全研究者を責めたりしています。しかしそれらの行為は、始めから的外れであり、日本の知的財産を破壊するだけです。そういった愚かな行為は、日本人だけが研究できなくするだけであり、それは資源がない日本にとって深刻なダメージとなります。小さな存在である人間が、その小ささを理解せず、非理論的に日本の研究者を攻撃するという自殺行為は愚かさの極みです。未知なる事象を研究するという行為の意味を知り、そのうえで冷静に言動を行いましょう。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

ネタつつき220  - 保守性という名の空気を消そう

 これは日本ではよくあることなのですが、物事を論理的に考えず、感覚で何となく間違ったことを信じている事が多々あります。どうやらこの空気を読む病は日本全体に広がっているようで、一般的には論理的に考えるとされているIT業界も例外ではありません。
 日本のIT業界には、保守性の定義を間違って覚えて、「素人同然の人」だとか「努力しない人」に合してプログラムを書く風習があります。さすがにこの悪習は、減ってきていると思いたいのですが、結構広い範囲で残っているようです。
 どうしてこうなるのかといいますと、保守性の定義を「誰でも読めるプログラムを書くこと」だと思い込んでいる、もしくは、楽に給与を得たい人がそのように経営者に吹き込んでいるからです。これは保守性の正しい定義を知っている人ならば、一蹴にする屁理屈なのですが、残念なことに、間違った定義が正しいと思いこんで、そのように経営している会社が多々見受けられます。
 よくわからない人がいると思いますので、もう少し屁理屈のからくりを言うと、「保守性の定義が誰でもなんだから、新しいプログラム言語の文法を知らない人でも読めるプログラムを書こう」、「新しい技術を知らない人がいるから古い技術だけを使えばいい」などといった主張がまかり通っています。これは他業界の人にとっては笑える話だと思います。何故ならば、製品やサービスの品質は常に向上させるのが当たり前であって、低下させるもしくは、低い水準にとどめる理由がないからです。技術は新旧ではなく、お客様の要望にマッチしたものを選ぶのがプロです。学習していないから使用しないというのはプロとは呼べません。とてもじゃないけどプロとは言えない、素人同然の人に合わせる必要はないと誰でも考えるでしょう。
 冷静に考えればわかることですが、保守性の概念がそんな馬鹿げたものである筈がありません。正式な定義は、変更容易性(Changeability)の一部の概念であり、「問題の解決を素早く行う事を表す非機能的特性」が保守性の正式な定義です。間違った定義が広まっているので、正式な定義を書きます。
 保守性とは、システムの変更を容易にするための非機能的特性(変更容易性)のうちのひとつであり、「問題が発生したときに素早く解決するために満たすべき特性」です。つまり、エラーが発生しても、被害が局所的になるようにし、一部プログラムを変更するだけで対処できるようにプログラミングするという事なのです。
 つまり、一部のIT業界の人が言うような「技術力が低い人でも読めるプログラム」なんていうものはナンセンスです。そもそも、「プログラムが読める」云々は可読性ですし、可読性にしてもプロであることを前提としています。問題に対処するためには、オブジェクト指向プログラミングといった概念を高度に使いこなさねば、高い保守性を達成できません。従って、間違った保守性を理由に、実際には保守性を下げる行為をしている会社が存在するのです。同じ業界の人間として、非常に情けないです。
 残念ながら近代日本には、「理論よりも空気を読む」という悪習があります。しかしながら、理論的に物事を考えるべき時はちゃんと考えないと、厳しい現実が待っています。空気ではなく、正しい論理を読み、厳しい現実に対処しましょう。そうしなければ、悲惨な現実が貴方を待っています。

テーマ : プログラミング
ジャンル : コンピュータ

ネタつつき219  - 当たり前は存在しない。思考し続けよう。

 情報技術者としての私の信念は「当たり前など存在しない」です。この考え方は、非常に重要だと思いますので、今回はそれについて書きます。
 例えば、5×0=0. 4×0=0.は当たり前でしょうか?多くの人は良く考えもせずに、当たり前だとか、そう決まっているなどと考えるようです。通常はこれでよいとされておりますが、そのような考えでは技術者は務まりません。暗黙の了解で済ましたり、思考停止したりして、思考を巡らせないのでは、何も想像できませんし、細部に潜む髪を見出すことができなくなります。「当たり前」に疑問を呈し、深く物事を考えるのが技術者です。
 先ほどの例でいうと、「零の定義」「掛け算の定義」「等号の定義」の3つの定義をよく考えるのがよいでしょう。これから一緒に考えましょう。
 零の定義は意外と複雑です。零の歴史は長く、深い意味合いがあります。存在がない事を表す働きと、位取り記数法の役割の2つの役割を持ち、思想的には無限と深く結びついています。この奥深く多面的な零をよく捉えない限り、真実に到達することはありえません。しかし、これ以上思考を進めるには、他の定義を考える必要があります。
 掛け算の定義は、土地の面積計算から端を発しています。また、足し算を効率よく行うためのものでもあります。この2つの行為は単純に見えますが、微分積分とも結びつており、意外と複雑です。何故ならば、面積計算は線を積分するものだと捉えることができるからです。
 等号の定義についても油断できません。等価を意味すると考えられますし、掛け算アルゴリズムの結果と考えることもできるからです。この両者は同じだと思われるかもしれませんが、微妙に異なります。何故ならば、等価を意味するのであれば、何をもって等価なのかを深く考えねばならないからです。すなわち、零とは何かについて明確な答えを出さねばならないのです。
 これで定義が出そろったので、再び思考を進めましょう。そもそも零とは何でしょうか?零を積分するとは何を意味するのでしょうか?零と等価とはどんな状態なのでしょうか?・・・色々な疑問が浮かびます。どうやら、これらの問いの答えは、「零とは何か」にあるようです。
 再び零とは何かについて考えましょう。零は無であり、無限でもあります。そして、記数法の道具でもあります。また、同じ数同士を引けるという特徴も持ちます。これらを統一する零の定義とは何でしょうか?この問いは難題です。過去、多くの人が考え続けました。絶対的な答えは導き出されていないので、正解はないと思います。ここで技術者としての姿勢が問われます。貴方は答えがないからといって諦めますか?
 私は技術者を「思考を止めない人」だと考えています。ですから、答えがないからといって思考を止めません。いかなる時も何らかの答えを出します。先ほどに例の零についても私なりの答えを出しました。
 私が考えるに、零とは「制約を定めていない集合」です。何故ならば、零は無でもあり無限でもあるからです。この2つの性質の両方を満たすには、この答えしかないと思います。制約がない状態だと考えれば、定義がないので無であり、制約を考えられるので無限でもあると考えることが可能となります。また、記数法としての零と、同じ数同士の零についても、「定めていない部分についての対応」だと考えられるからです。この考え方が、日記で書いた作用数につながります。
 カントールは無限を数える事を可能としました。その方法とは、自然数との1対1対応です。ならば、零についても対応を考えればよいという事になります。すなわち、5×0、4×0…についても対応として考えれば、「無制限を制限することが可能」となります。
 先ほど言ったように、カントールの考えを適用し、片方の値が零の掛け算の組を、0を加えた自然数に対応してみます。そうすると、以前は区別できなかった零に形をあたることができます。
 もし、当たり前だとか、答えがないだと考え、思考停止していたならば、このように新しいものを創造できなくなるのは明白です。想像できない技術者に何の価値があるのでしょうか?それを考えると、私が言っている意味が分かると思います。
 この世の中には、答えがない問いが沢山あります。それら無数の問いに対して、思考放棄で臨む人生は楽しいでしょうか?それを楽しいと言い切れる人がいればそれでよいのですが、そうでないならば考えるしかありません。人間は考える葦です。たとえ技術者でなくても、物事を深く考えるのは大切な事だと私は思います。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

ネタつつき218  - 好きでもない仕事はするな。好きでない人は雇うな。

 巷では「好きなことは職業にするな」といわれる場合もあります。日本の場合これが極端になり、その仕事を好きだという人を採用しないなどといった人事担当者もいるそうです。今回はその件について、自分の考えを書きます。
 結論から書くと、「好きでもない仕事につくな」と考えています。私がかく言う理由が三つあります。それをこれから書きます。
 第一に「仕事の苦痛に耐えられるのか」と考えたとき、好きでもない仕事で耐えられないと考えるからです。どんな仕事でもつらいことがあります。また、どんな仕事も地味です。システム開発を派手なものだと勘違いしている若者がいますが、これほど人間臭くて地味な仕事はありません。どんな仕事にも人間関係があり、地味な作業の連続です。嫌いな職業で、そのつらく地味な作業に耐えられるのでしょうか?私は耐えられないと思います。
 第二に「向上心を持てるのか」という問題があります。どんな仕事でも向上心が必要です。例えば、アルバイトでも、究めようと思えば、いくらでも努力できます。人間の仕事に完璧はないのです。あるのは理想に向かって突き進む、人間の意志だけです。嫌いな仕事に向上心を持てる人がいるでしょうか?好きでも向上心がない人がいるのですから、嫌いならばお話にならないと私は考えています。
 第三に「いやいややったらお客様に失礼」だという事が考えられます。意識していない人もいるかと思いますが、好きでもない仕事を嫌々しているという事は、お客様にも伝わってしまいます。嫌々されて、気持ちがいい人はいません。お客様指向といっておいて、その仕事を好きでもない人にやらす会社は、何を考えているのでしょうか?論理的整合性がありません。
 纏めます。全ての仕事は地味で、苦痛が伴います。それでも、完璧な仕事というものは、この世に存在せず、高い志を持って仕事をせねばなりません。嫌々仕事をされて喜ぶ人はいません。従って、「好き」は仕事の必要条件だと思います。好きだけでは、仕事ができないので、必要十分条件ではありませんが、必要条件を満たさないと話になりません。仕事の「好き」の度合いをもっと考慮するべきだと私は思います。

ネタつつき217  - 教育と技術向上に必要なもの

 世の中は、「才能」という言葉を使いたがります。他者に対して良い影響を与えるために使用するのであれば問題ありません。しかしながら、不適切に使用する人が多く、その言葉によって傷つけられた人が多いようなので、今回はその件に関して書きます。
 私自身は才能という言葉を「数値化できない非常にいい加減なもの」だと考えており、自分が才能あるのかなどと考えたことがありません。才能なんてものはどうでもいいものです。ですが、たまに「君は才能がない」といわれたり、「自分に才能がない」などと考えたりして、傷ついた人に出会います。
 私は「才能がない」なんて言葉を、口にする人の気がしれません。そんなことを言う人に対しては、「貴方は神様ですか?」と思います。人間である以上、才能なんてものは真にわかるはずがありません。また、人を傷つける権利もありません。従って私は、新人に対して「君は才能がある」といって褒めた事しかありません。才能という言葉は、人を褒めるときにしか使用してはならないというのが私の持論です。人は褒めて伸ばすものです。
 私が初めて歩いた時、両親から褒められて伸びました。それを覚えているので、私は他者に対して積極的に褒めます。特に新人教育を任せてもらった時は、褒める事しかしません。たまに、それを疑問視するクライアントもいますが、「情報技術に必要なのはラヴ&パッションだけです」と答えます。私は本気でそう考えています。そのほかに必要なものは何もありません。才能?そんな曖昧なものは、どうでもいいです。そんなものは犬のえさにすればいいです。
 情報技術を学ぶ上で重要なのは、それをどれくらい愛しているのかと、それに対してどれぐらい情熱を持っているのかの2点だけです。私は情報技術がなければ死んだ方がましだと考えるぐらい、情報技術を愛し、永遠に情報技術を極めたいと考えるぐらいに情熱を持っています。金よりも、女よりも、名誉よりも、何よりも、情報技術を愛しています。自分の技術力はそれだけで伸ばしました。例え、人から「君に才能はない。やめるべきだ。」といわれても「やらないぐらいならば死を選ぶ」と答えるだけです。情報技術に初めてであった中学生の時から、迷ったことがありません。私の人生に情報技術以外(※家族愛や友情などを除くとです)ありません。
 纏めます。才能という言葉は、使用法を間違えれば、人を傷つける凶器になります。しかし何人たりとも他人を傷つける権利はありません。才能は人を褒めて伸ばすとき以外に使用してはなりません。技術を極めるのに必要なものは、愛と情熱だけです。何にも惑わされず、ただひたすらに、技術を愛し、常に情熱をもって生き続けましょう。そして、人は褒めて伸ばしましょう。それが唯一の真理です。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

ネタつつき216  - 初心は大切

 「初心忘るべからず」という言葉があります。これが大切だという事は誰も知っています。しかしながら、実際に行っている人が多いと見受けられます。そこで今回は、「初心忘るべからず」について書こうと思いました。
 私が最も経験した初めては、「初めて歩いた時」です。その日は、両親に連れられて、家の前で日向ぼっこをしていました。少しの間何もせずに日向ぼっこをしていましたが、「この子が立って歩くかどうか試さない?」と母がいい、父も微笑みながら頷き、両親は少し離れたと場所に立ち、私の名前を呼びました。
 その当時の私はまだ赤子で、知らない単語が大量にありましたが、何となく両親の言葉の意味を理解しており、「うちの親は僕が立って歩く姿が見たいんだ」と思いました。まだ立って歩くことの意義がわかりませんでしたが、その日はよく晴れており気分もいいし、道に雨水が流れるように作られた小さな溝が細い線となっており、それが面白くて、その線の上を立って歩きたくなりました。
 初めて歩こうとするとき、赤子の私はちょっと戸惑いました。両親をまねて立とうとすると、まだ足腰が弱いのか、思ったよりも難しかったからです。くじけそうになりましたが、ちょっと立とうとするだけで、両親が驚いてはめてくれるものですから、「難しいけどもやってみよう」と硬く決心しました。その結果、ふらつきながらも根性で何とか数歩歩けました。
 そうすると、両親はすごく感激し、ちょっと涙ぐみながら、ものすごく喜んで褒めてくれました。赤子の頃はぼーとしている時間の方が長くて、思い出が少ないです。蟻を観察したり、風景を楽しんだり、両親の会話を聞いていたりしていましたが、殆どの時間は寝ていましたのですから当然そうなります。しかしながら、この時の嬉しさは今でも忘れません。初心は誰しもうれしいものであり、大切な宝物になります。
 ほかにも初めてPCに触れたとき、初めてインターネット知った時、初めてプログラミングしたとき・・・など、色々な初めての思い出を大切にしています。そして、困難な仕事にぶち当たった時に、初心を思い出し、それを原動力にしてアグレッシブに挑戦しています。
 人間はえてして、初めての事を忘れてしまい、負の感情に支配されることが多いです。今更こんなことできない、やっても失敗する・・・などと後ろ向きの人が多く見受けられます。かく言う私も、もちろん後ろ向きになる瞬間があります。しかし、初心を忘れなければ、後ろ向きな心を前に向き直して、何歳であろうとも何事に対しても楽しく挑戦できます。
 何事も挑戦しなければ、「初めての感動」を味わえません。良い思い出を得るために、常に前向きになりましょう。もし失敗しても、泣いても笑っても、全てがよい思い出になります。時には休息をとりながら、どんどん前に進みましょう。そうすれば、苦楽を含め人生が楽しいものになります。

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体

ネタつつき215  - 時に昔の自分を思い出そう

 これは雑談なのですが、情報技術者は世界で一番本を読む職業かもしれません。私はシステム屋(システム開発の全行程を専門としている情報技術者)をしておりますが、専門書を読まない日はありません。しかも、誰かに強制されてしているわけではなく、空気を吸うがごとく自然に行っています。
 情報技術者は情報を扱う職業なので、毎日何らかの情報を分析しなくてはなりません。しかも、毎回どの業種や業界の人がお客様になるかわからないので、毎回仕事で他の専門分野を学ぶ必要が生じます。人によってはこれが苦痛になるとのことですが、私の場合巣で選んだ仕事ですので、非常に楽しくやっております。その状態が10年以上続いているので、もはや専門書を読むことは、呼吸をすることや食事をすることと同様になっています。無意識に常に何かの専門書を読んでいます。
 たまに専門書を読めない場所にいるときがありますが、そんなときは逆に苦痛を感じます。私にとっては、正しく、食事や呼吸ができないのと同じ状態なのです。
 それと同時に、プログラミングも日常生活に組み込まれています。毎日プログラミングをしないと、手が震えてきます。しかし、PCがない場所もあるので、脳内でプログラミングをしております。そうすれば、いつでもどこでもプログラミングができます。
 この性格は生まれ持ったものです。赤ちゃんの時から、常に何かを考えていました。赤子の時は蟻の研究が好きで、一日中蟻を観察しておりました。小学生のころは、すでに色々な本を読んでいました。アカデミア百官辞典をよく読んでいました。その状態のまま、大人になったものですから、読書・思考・プログラミングといった行為は、習性といえるかもしれません。
 このことから私は思うのですが、人は生まれ持った性格は赤子のころからあまり変わらず、自然と性格に合った職業を選ぶのかもしれません。もちろん後天的に生じた性格もあるでしょうが、核となる部分はもしかしたら、赤子の時から決まっているのかもしれません。少なくとも私はそうでした。
 三つ子の魂百までとはよく言ったものです。赤ちゃんの時の事を覚えていない人が多いようですが、小さなころを思い返してみましょう。そうすれば、きっと「あまり変わっていない」と思うでしょう。時には、昔を懐かしむのもいいと私は思います。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

インドリ

Author:インドリ
みなさん、はじめまして、
コンニチハ。

ボクは、無限の夢(infinity dream)を持つネタ好きな虹色の鳥インドリ(in dre)です。
色々な情報処理技術を啄ばむから楽しみにしてね。

http://twitter.com/indori
は別人による嫌がらせ行為です。
私とは関係ないので注意して下さい。
次はなりすましブログなどをするかもしれませんが、ここ以外でブログをするつもりがないので、ここ以外にインドリのブログがあったとしても無視してください。


何度言っても分からない人がいるので、ここにコメント欄へ書き込むときの注意事項を書きます。


一、社会人としてのマナーをわきまえましょう。
一、妄想に基づく書き込みを止めてください。
一、暴言の類は書かないで下さい。
一、某誹謗中傷サイトの書き込みは彼らの妄想に基づく書き込みですから無視して、ここへ書き込まないで下さい。
一、コメント書く前に他のコメントよく読んでから行って下さい。
一、言いがかかり等の行為を禁止します。
一、その他常識的に考えて迷惑なコメントはしないで下さい。


以上のルールを守れない人のコメントは削除します。



利用上の注意
ここに紹介してある文章およびプログラムコードは正確であるように心がけておりますが、内容を保証するものではありません。当サイトの内容によって生じた損害については、一切の責任を負いませんので御了承ください。


執筆したCodeZineの記事


【VB.NETで仮想CPUを作ろう】

  1. VB.NETで仮想CPUを作ろう
  2. レジスタの実装
  3. 仮想CPUのGUI化
  4. テストドライバの改良
  5. CPUの基礎動作の実装
  6. MOV命令の実装
  7. ADD命令実装
  8. SUB命令実装
  9. INC命令&DEC命令の実装と命令長
  10. MLU命令の実装とModR/Mについて
  11. DIV命令の実装とイベント設計について
  12. 機械語駆動式 関数電卓を作ろう!
  13. 機械語駆動式 関数電卓を作ろう! 解答編(前半)
  14. 機械語駆動式 関数電卓を作ろう! 解答編(後半)


【仮想ネットワーク実装でTCP/IPを学ぼう】
  1. TCP/IPの基礎と勘所
  2. ネットワークアクセス層の勘所
  3. インターネット層の勘所
  4. トランスポート層の勘所
  5. アプリケーション層の勘所
  6. セキュリティの基礎と仮想ネットワークの仕様
  7. GDI+と独自プロトコルの定義



【並列化】
インテル Parallel Studioを使って並列化プログラミングを試してみた
並列プログラミングの効率的なデバッグを実現する「Parallel Inspector」


【TBBシリーズ】
  1. インテル スレッディング・ビルディング・ブロックの概要
  2. インテルTBBから学ぶループの並列化
  3. スレッドセーフとインテルTBBのコンテナ
  4. インテルTBBのスレッドクラス


【OpenMPシリーズ】
  1. OpenMPの基礎構文
  2. OpenMPの実行時ライブラリと並列ループ
  3. OpenMPのメモリモデルとfork- joinモデル

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリ
Ada (9)
COBOL (5)
C (9)
C++ (11)
C# (370)
D (25)
Java (8)
Perl (1)
Ruby (14)
PHP (2)
Boo (2)
Cobra (2)
LISP (6)
F# (33)
HTML (0)
XHTML (0)
CSS (0)
XML (0)
XSLT (0)
Scala (4)
WPF (0)
WF (2)
WCF (0)
LINQ (4)
MONO (5)
Linux (0)
MySQL (0)
ブログ内検索
リンク
最近のトラックバック
RSSフィード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
FC2カウンター