情報集合論(仮名) 属するとは何か
情報集合論では、「属する」という概念がありません。便宜上属するといってもいいのですが、正確に言うと「前提条件を満たす」です。情報集合論の基本イメージは、フィルターと変換ですので、属するというよりも、親集合が情報をふるい落しているといった方が適切です。こうすることにより、素朴集合論のパラドックスは生じません。
前提を満たすということを言い換えれば、「必ず0個以上数が減る」ということです。従って、親集合は子集合よりも濃度が小さくなります。ということは、カントールパラドックスは解決しています。集合の集合にべき演算をしたら、部分集合が集合の濃度を超えるという矛盾は、べき集合が適用できない集合内に、べき演算が適用できる集合を定義することになりますので、そもそも起こりえません。基本定義から、親の濃度は必ずこの濃度よりも大きいので、パラドックスなんてありません。パラドックスが生じたときは、前提が間違っているだけなので、前提を組み替えれば済みます。
さて、このように情報集合論を定義しようとすれば、自ずと規則が導き出されます。それは、「情報集合は必ず満たすべき条件を1つだけ持つ」です。素朴集合はいきなり、各種集合演算を使えるものとして扱っていますが、それは現代数学の視点から見ても論理の飛躍です。演算は必ず満たすべき条件というものが存在します。数にしても、群・環・体の概念がありますから、それと同様に集合演算を実行するにあたり、必要となる条件というものを考察しなくてはなりません。カントールが生きていれば、きっとそこまで論理を磨いていたと思います。
条件を1つ1つ定義し、フィルターと変換を行う事を基本とする情報集合論は、変化を対処できる柔軟性があります。学問という情報も変化が伴います。変化を事前に前提とし、前提条件だけを更新すればよいというのが情報集合論の基本思想です。また、何の情報にも使えるという事を目指しています。人間の知的活動は全てが情報に基づきます。その情報を押さえれば、全ての物事に適用できます。万能知的ツールです。
この理論は、去年集合論の専門書を読んだ時点で閃いていました。閃きというものは、突然発生するものです。しかし、言葉にするというのは時間がかかります。私はこういった経験を何度もしています。結論がわかっているのに、そこまでの過程を言語化するのは時間がかかります。非常に不思議です。人間の脳という情報処理器官はどうなっているのでしょう。このメカニズムがわかれば、情報技術は次の段階へと飛躍するでしょう。
既存の情報技術は積み重ねが基本になっています。しかしながら、人間には過程がない閃きがあります。その閃きを生み出せるプログラミングができれば、根本から考え方が変わります。閃きと積み重ねの両方ができれば、機械は人間を超えます。これは論理的には可能だと思います。面白い反面ちょっと怖いです。