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ネタつつき223  - 国家システムの分析

 残念ながら、日本人は国家システムを真面目に考えていません。政治評論家などの人から、真面目に考えているといわれるかもしれませんが、情報科学的見地および経営論から見れば、日本の国家システムは基礎要件すら満たせないものであると断言できますので、その反論は無意味です。戦後70年近くも何をしていたのかと問い正したいです。
 システムのもっとも基礎となる要件は何でしょうか?それは、「国民の総意に基づき国民の生命や財産を守る」だと思います。しかしながら、現在の日本の国家システムはそうなっておりません。それどころか、日本に危害を加える危険なシステムであるといっても過言ではありません。そのことについて詳細に論じていきます。
 より精密に議論するためには、国家システムを関数として扱わねばなりません。国家システムを関数fとします。引数は国民が消費するリソース(お金、時間、生命)です。戻り値は国民が得られるもの(経済効果、安全性など)です。この関数が満たすべき条件とは何かを考えると、国家システムが満たすべき要件がわかります。なお、システムのパラメーターと戻り値は関数です。
 誰でも合意できる条件を提示すると、国家システムをf、必要なリソース(引数)をp、得られる利潤をrとすると・・・

p( ) < r( ) = p < f( p( ) ) ( )
国家システムが生み出す利益は、必要なリソース以上でなければならない。

この条件を満たすのが国家システムであるべきです。しかしながら、現実はそうなっていません。現状は一部の人々だけが利益を得る仕組みになっています。これでは封建社会とほぼ同じ状態です。忘れてならない事は、日本は民主主義国家だという事です。日本は建前上そうなっていますが、議会制民主主義を採用しており、そのセキュリティが零なので、議員を攻撃することにより容易にクラッキングできてしまいます。
 つまり、民主主義の要件である「国民の意見」が、議員を通して一部の人の意見となっています。国民の数よりも議員の数の方が少ないわけですから、議員の都合により決定されている時点で民主主義とは言えません。かといって、議員を選ばないとコミュニケーションコストがかかります。これを防ぐ方法は、「国民が議員の権利を委譲して」任せるほかありませんが、日本人は無思考だったので、議員が国民の総意に背いた場合の対処について何も考えられていません。選挙で選べばいいといわれていますが、それは「受かりさえすれば任期の間何をしてもいい」という事を意味しており、非常に馬鹿げた事態だといえます。貴方のPCは、バグがあっても4年間放置しますか?4年間要らないサービスをお金を支払って受けますか?そうする人はいないでしょう。そういった観点から、日本の国家システムは、システムとさえ言えない酷い代物だといえます。
 話が抽象的で分かりにくいと思いますので、近年の事例を挙げます。民主政権はマニフェストの逆を実行したといわれていますが、何時でも敗れるマニフェストを基に行われる選挙システムは妥当といえますか?号泣県議員は報酬に見合った仕事をしているのでしょうか?これら二つに共通していえることは、コストに見合ったリターンがない = p( ) > r( )という点です。
 この馬鹿げた現状の理由は、特別な悪人がいたわけではありません。日本人はそう考えがちですが、「システムがそうなっているから」です。現状をわかりやすいように例えると、「泥棒に窃盗罪を作らせている」といえます。例えに品がありませんが、ゲーデルの不完全性定理により、本人に報酬や身分保証を作らせたら不完全なものができるという事です。本来は国民が考えるべきことを放棄しているのが問題なのです。
 まだわかりにくいと思いますので、日常から考えてみましょう。皆様は商品やサービスを購入するとき、何も考えずに購入しますか?そういう人は稀で、普通の人は得られるメリットと支払うお金を天秤にかけます。その普通の考えが、日本の国家システムにありません。現状は要らないサービスを相手のいい値で買っているのと同じ状態です。
 問題はこれだけではありません。そもそもシステムは、「より安くより高品質に進化」せねばなりません。しかしながら、日本の国家システムは、「より高くより低品質に進化」しています。税金は年々に上がり、受けられるサービスの質もどんどん下がっています。おまけに国家システムの場合、人命にかかわりますが、人命よりも一部の人の利権だけが優先されています。いかに異常なのかわかると思います。
 ほかに論じるべきことはありますが、きりがないので纏めます。日本の国家システムの現状は、「PCを壊し続けるOS」だといえます。自然を破壊し、人命を無視し、国民の時間を奪い、外敵からの脅威が増加し続けています。おまけに、税金は上がる一方で、費用対効果がまるで考えられていません。これは日本人の無思考が生んだ至極当然の結果です。一刻も早く、真面目に国家システムについて考えましょう。
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ニュースを分析26回 - 大阪市議会が見せる日本の民主主義の欺瞞

 この間、橋下市長が再選したことにより、市民の意見が「大阪都構想の案ぐらい見せてよ」だという事がわかりました。しかしながら、この場に及んでも大阪府&大阪市議会は案すら作ることを拒否し、橋下市長が違法行為を犯したと騒ぎ始めました。この異常事態は、日本の民主主義が建前であることをうかがわせます。これがまかり通るのであれば、日本は非民主主義国家だという事になります。
 なぜ私がそのように考えるのかというと、民意を無視し、少数の既得権益者の意見だけで政治が行われているからです。これは、順を追って考えればわかります。そもそも橋下市長は何故当選したのでしょうか?それは、彼の主張が大阪都構想をもって大阪を変える事ですから、大阪の市民の大多数が、「現状を変えてほしい」と願ったことがわかります。それにも関わらず、大阪府議会と大阪市議会は、マスメディアと組んで、何年たっても大阪都構想の案すら作らせませんでした。これは異常な事態です。
 普通の民間企業で、社長(大阪市民たちは権限を持っているから社長に相当する)が、「案を見たい」といったのですから、一日でも早く案を作るべきです。しかしながら、現在の大阪は、会社員が案を何年も作らないどころか、案を作る事すら反対している始末です。これは極めて異常であるといえると思います。社長が案を見て、「この案はよくない」と判断するのは良いのですが、その案すら作らないというのは、異常というほかありません。この例えをもとに、現在の大阪を見ると、いかに民主主義が建前上のものなのかわかります。
 そもそも、民主主義とは何でしょうか?この定義については難しいのですが、少なくとも、少数の地方議員達が、民意を無視して、するべき仕事をしないというのは、民主主義ではないと断言できます。何故ならば、投票結果を無視して、彼らの少数の意見で政治をしているのですから、民意はどこにも存在しないからです。あるのは、既得権益者達のなりふり構わない行動だけです。
 この間、大阪出直し選挙がありました。その時、マスメディアはこぞって、「税金の無駄遣い」だと騒ぎました。その観点からというと、仕事をしない議員の給与こそが本当の無駄遣いだと思えてなりません。普通の民間企業で、「案を作る」という単純な行為だけで、数年もたってできないというのはあり得ません。通常の民間企業でこれをすると、給与どころか解雇されます。それにも関わらず、与えられた仕事を拒否し、給与だけをもらい続けているのですから、異常という他ありません。
 この既得権益を守るのに必死な議員たちは、橋下市長を訴えるという暴挙に出ました。しかもその名目が、「民主主義を否定している」だそうです。この主張には、笑いが止まりません。市民から任せられた仕事を、何年たっても果たさない上に、市民の意見を無視し、少数の議員の意思だけで政治をしてもよいと堂々と主張し、「民主主義に違反している」と橋下市長を訴えるというのですから、民主主義ではないといえるでしょう。彼らは地方自治法を悪用して、「法律を守らないから民主主義でない」と主張しているのですが、そもそも、市民から任せられた仕事をしない時点で民主主義とは言えません。
 そういえばこの間、政務調査費の不正取得が話題となりました。しかし、大阪府の議員と大阪市の議員は、何年も市民から託された仕事を放棄し、妨害すらしながら議員報酬を受け取り続けています。どちらが悪質なのでしょうか?議員達の都合で決めるのは果たして民主主義なのでしょうか?・・・
 この件からも分かりますが、日本は建前上民主主義国家ですが、実際は一部の人の都合で政治が動いています。議員は一度当選すれば、仕事しなくても、有権者を無視しても、権力と報酬を保持し続けます。これを民主主義というのは、おかしな話です。現状は、民衆の意見を聞かなくてもよいシステムになっているのですから、真の民主主義だといえません。
 大阪で起こっていることは、日本の縮図だと思います。今一度、私たち有権者は、民主主義について考えなくてはなりません。そして、真の民主主義国家になるように、言論をし続けなくてはならないと思います。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

ネタつつき222  - 研究は失敗の代名詞

 今回は研究についての誤解を解くために書きます。研究というと、成功のイメージでとらえる人が多いです。しかし実際はその反対で、研究とは失敗だと言えます。
 研究は既存の概念を否定することから始めます。その時点で失敗と見做すこともできます。何故ならば、成功という概念は一般的に、正しいという概念で結びつけられて考えられているので、現時点で正しくない事をしようとしている時点で、論理学的には過ちだといえるからです。確率的にいっても、成功する確率は極めて低いです。
 誤解がないように書きますが、だからといって、研究者自身は、大量の根拠なき自信と、少量の論理的根拠(ほぼ直観といってもよい)をもって研究を始めます。小保方さんがSTAP細胞をあると断言しているのが良い例です。あれは研究者にとってあたりまえの行為です。もし正しくないと思いつつ研究しているのであれば、それは研究ではなくただの詐欺です。
 研究で行う事は、夥しい数の失敗の繰り返しです。研究はわからないものを対象にするのですから、失敗を繰り返して、無限に見える選択肢を徐々に減らしていくほかありません。人間の知力は有限なので、そうするしかないのです。もし神様ならば、答えを知っているので、答えを提示するだけでしょう。しかし、真実が見えない人間は、無知という名の暗闇の中、盲目的に答えを探して彷徨うほかありません。
 研究には終わりはありません。人間が成功したと思える時点はありますが、それは人間の錯覚にすぎません。世界の真理は人間の手の届かないところにあります。将来、自分よりも優秀な人が、その研究成果を否定して新しい研究を始めます。つまり、本当の意味で成功した研究なんてそもそも存在しないのです。全ての研究は、未来の人類の踏み台にすぎません。その事実を受け入れ、失敗する勇気を持つ者だけが子孫に贈物をできるのです。
 これを読んだ人は、「研究者は何故そんな虚しい事をするのだろうか」と疑問に思うでしょう。その答えは人それぞれですが、おそらく共通しているのは「未来を創る唯一の方法」と考えている事でしょう。
 誰かが新しい物事を開拓しなければ人類は滅びます。神のように万能ではない、小さな存在である人間はそうするしか生きる術がありません。しかし、研究は失敗の代名詞ともいえる行為なので、勇気ある人にしかできません。その勇気を持つ人を嘲笑い、攻撃し、未来を亡ぼそうとしているのが日本の現状です。勇気がない人を責めはしませんが、せめて未来を壊す愚行だけは止めてほしいと私は切に願っています。勇気を持たないならば、日本の未来のために、勇気を持つ人を応援する。それが良識ある大人のすることではないでしょうか?

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ネタつつき221  - 研究とは何か

 一連のSTAP細胞報道を見ていて、未知なるものを研究したことがない人たちが、勝手に日本の研究者全員を不正だと決めつけている現状が許せないので、未知なる物事の研究とは何かについて書こうと思いました。
 未知なるものを研究したことがある人から見れば、STAP細胞報道は全てが的外れです。未知なる事象を研究するという行為の意味をまるで分かっていないと思います。常識的におかしいと騒いだり、小保方さん一人の責任にしたり、画像が間違っているなどと騒いだりするのは非常に的外れであり、滑稽に映ります。
 未知なる事象を研究するときは、既存の概念を否定することから始まります。何故ならば、既知でない物事を未知と呼ぶからです。従って、既存の概念で縛られている人の目には、許せない行為だとか、愚かな行為だとか、変人だとか、とにかく良い印象を与えません。また、否定材料を出す方は実に簡単です。否定するときは、既知の概念の否定だから、既知の概念を言えばいいだけです。これは、未知なるものを研究したことがある人にとって常識であって、この手の行為はあまりに馬鹿らしいです。
 「小保方さん」という属人的な発想をしている点もおかしいです。何故ならば、自然は人間の都合で動いておらず、個人の行為の結果とは無関係に存在するからです。従って、小保方さんという一人の人間が再現できないからといって、STAP細胞という事象の否定にはなりません。それ故に、STAP細胞報道は的外れです。研究の経験がない人は、わかりにくいと思いますので、もっと詳しく書きます。
 仮に、あるとき小保方さんが、STAP現象と呼ばれる事象を、偶然に発見したとします。この場合、STAP現象の真理がわからない彼女は間違った仮説を立て、色々な実験を試みて再現しようとします。しかし、人間の知力は限られているので、実験が偶然成功したことがわからず、それが真実だと思います。この場合彼女は、将来再現実験に失敗することになります。この時、STAP現象は存在するのでしょうか?しないのでしょうか?答えはお分かりだと思います。人間の失敗有無にかかわらず、真理はそこにあります。つまり、小保方さん一人が失敗したからといって、STAP現象とSTAP細胞の存在の有無が左右されることがないのです。仮に成功したとしても、それは自然の一部であり第1歩にすぎません。常に不確定要素が付きまといます。現時点で正しいと思っていても、将来否定される事が十分にあり得ます。科学は絶対の真理ではありません。
 このことについて、非理論的に否定的な報道がなされていますが、人間が行える研究なんてものはそういうものだから、本来は騒ぐ必要がありません。理論的に考えるのであれば、失敗しても成功しても、不確定要素が付きまとう、不完全な理論にすぎません。そもそも、人間の理論に完璧なものなんて1つもありません。そんなものを信じて騒ぐのは非常に愚かな事です。人間を過剰評価し、自然を甘く見すぎています。従って、1人の人間をどうこう言う時点で的外れだといえます。
 纏めます。日本の報道機関は、人間を過剰評価して、自然を甘く見ています。その浅はかな考え故に、未知なる事象の研究の意味を理解しないまま、非理論的に小保方さんに対して人外の力を求めて責めたり、日本の全研究者を責めたりしています。しかしそれらの行為は、始めから的外れであり、日本の知的財産を破壊するだけです。そういった愚かな行為は、日本人だけが研究できなくするだけであり、それは資源がない日本にとって深刻なダメージとなります。小さな存在である人間が、その小ささを理解せず、非理論的に日本の研究者を攻撃するという自殺行為は愚かさの極みです。未知なる事象を研究するという行為の意味を知り、そのうえで冷静に言動を行いましょう。

テーマ : 文明・文化&思想
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中の人の徒然草502 個人情報流出は他人ごとではない

 ベネッセコーポレーションの個人情報流出事件が取りざたされていますね。この事件は、セキュリティの大切さを教えてくれます。一般の人は、ベネッセが特別失態を犯したかのように感じるでしょうが、日本企業はセキュリティに甘い傾向があるので、この会社だけを責めるのはお門違いだと思います。
 というのも、日本人は原発事件のように「信じていれば起きない」だとか「うちだけは大丈夫」などと考える節があるからです。いくら、技術者がセキュリティの大切さを説いても、そういった企業が多いので、こういう事件は後を絶たないと思います。これは日本全体の傾向です。
 号泣県議員のケースを見ても分かるように、日本のあらゆるシステムはセキュリティ意識が甘く、犯罪が行われない前提で作られています。しかしながら、犯罪をする気でないのであれば、セキュリティを厳しくしてもよいと考えるのが通常であり、今の在り方に疑問を感じます。特に政治はその傾向が強く、民主党がマニフェストを守らない事を断罪した自民党も、マニフェストを破った場合の事を考えて、新しい法律を作りません。このとき国民も「何のために詐欺ができる環境を維持しているのか」と問い詰めるべきなのですからこのケースも日本人のセキュリティに対する甘さを表していると思います。
 もっと新しい話題を言うと、集団的自衛権の議論についても、私から見たら頓珍漢です。というのも、「法律を守らなければどうなるのか」という観点が一切なく、日本の防衛が大事だと連呼するばかりだからです。防衛が大事ならば、内部セキュリティを考えなければなりません。しかし現在は、将来変な政治家が現れて、法律を無視し、法解釈の下勝手に戦争を始めた場合の対処が考えられていません。セキュリティエンジニアリングの観点から言って、それは非常に甘い考えです。脅威というものは内部からもやってきます。特に日本は、反日の人が多いので、本気で国防を考えるのであれば、内部セキュリティを考えるべきなのです。
 そういった観点から言うと、各都道府県の議会が号泣県議員問題をどうとらえるのか注目しなくてはなりません。この事件を基に、セキュリティ対策を取らない議会は怪しいと思います。といいますのも、犯罪をする予定がない人と、今現在犯罪を実行中でない人は、防ぐ方法を考えて当然だからです。そうしないのであれば、犯罪がやり易い環境を整えているといえますから、市民は疑った方がいいです。
 何はともあれ、日本は性善説でシステムを構築しすぎです。一度全てのシステムを性悪説で考える必要があります。これは国民の責任です。犯罪しやすい環境を放置し、犯罪が起こったと騒ぐのは愚かな行為です。
 そういえば昔、私は友達に自分の部屋の机の上に置いてあったお金を盗まれたことがあります。その時、おばあちゃんから言われた言葉がセキュリティの本質をついていると思います。「その子が悪いことをしたのは確か。だけど、ちゃんとお金を隠さない○○も悪い。お金を盗んだ子だって、目の前に無防備なお金がなければ犯罪をしなくて済んだんだよ。」
 このおばあちゃんの言葉が日本の問題に当てはまります。日本は性善説の下、犯罪をしやすい環境になっています。それ故に犯罪が絶えないわけですが、その時だけワイドショー感覚で騒いでおしまいになっています。号泣県議員の場合、市民がしっかりしていて、刑事告訴するそうですが、それは何よりです。しかし、個人を刑事告訴するだけでは、同じ犯罪が行われるのは明白なので、防止に向けて頑張ってほしいです。そして、兵庫県の市民オンブズマンを見習って、全国の人々が、真面目にこの手の犯罪について防犯してほしいです。そのような地道な活動が日本をよくしまし、戦後70年近くもたっているのですから、本来すでにしているべきことでした。
 何はともあれ、日本のセキュリティ意識が高まることを祈っています。

テーマ : 日記
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ニュースを分析25回 - まともな報道機関が存在しないことを前提に考えよう

 毎回色々とりあげてきましたが、根本的な事を書いていなかったと思いますので、今回は根本的な事を書きます。それは、報道を見るときは、「日本の報道機関は信頼性がない」という事を前提に考えましょう。残念ながら、日本の報道機関は全体としていうと、その情報に信頼性がありません。理由はこれから書きます。
 日本の報道機関が、戦争をあおり、従軍慰安婦問題をねつ造し、靖国参拝問題を作り出し、今はSTAP細胞報道で日本の知的財産を破壊しています。それらの事は語りつくされているので、STAP細胞報道を少しだけ書いて、今まで書いていなかったことを書きます。
 STAP細胞報道は、科学と論理を無視して、日本の学界を崩壊させるものです。何故ならば、彼らが言っていることは非論的であり、科学を少しでも知っている人ならば言わない事を主張しているからです。何故ならば、新規の発明には、間違いがつきものであり、再現性がないのも当たり前だからです。というのも、まだ知られていない事象なのですから、全てが手探り状態であり、数えきれない間違いから正解を導き出すのが研究です。また、マスメディアが言っているような完璧な理論など、そもそもこの世に存在しません。ニュートン力学ですら、全ての場合に適用できる法則ではありませんし、相対性理論でも、アインシュタイン本人が完全な理論ではないといっております。絶対的に正しいと分かっていることは、「人間の知性は有限であり、人は全てを知りえない。」ことだけです。つまり、日本の報道機関は、「日本の学者だけは人知を超えた知力がなければ論文を発表してはならない」といっているか、「新規の発明をしてはならない」といっているのと同じだからです。こんなことを鵜呑みにすれば、既知のものしか研究できなくなるので、日本は科学後進国になってしまいます。ここまで書いたことだけでも、大罪ですが、マスメディアはまだ大きな罪を犯しています。
 経営の神様松下幸之助によると「マスメディアがデフレの原因」といえます。何故ならば、彼はその著書で、「今、マスメディアが安ければいいと吹聴し、安さ合戦を引き起こしている。しかしながら、従業員にも生活があり、値下げをするというのは悪である。決して日本はよくならない。」という旨の事を書いているからです。彼が言っているのは、必要以上のコスト削減は、頑張っている社員の給与を減らす結果になり、その結果、日本全体が貧しくなる。だから、値下げは悪であり、値下げをあおることは問題であるという事です。彼はブラック企業化を危惧し、デフレ経済になることを懸念していました。
 これらの事を考えると明らかですが、彼らは報道というよりも扇動を行い、日本に悪影響を与えています。自分の国がこのような情けない状態になっているのを認めるのは苦痛ですが、他業界に対して無暗に謝罪を求めるマスメディアが謝罪会見を開いていない事実がある以上、彼らは反省して正しい報道をする気がないと考えるしかありません。それ故に、日本の報道は信頼性がない事を前提に考えねばなりません。
 公平を期すために書きますが、だからといって、全ての会社が駄目なわけではなく、産経新聞は良い記事を書いていると思います。ネット報道では、MSNを個人的に気に入っています。しかしながら、基本的に報道そのものが扇動になっているので、全てを疑い、自分の頭で物事を考えるしかありません。そうしないと、戦争になり、デフレになり、ブラック企業を生み出し、他国から自国の神社に参拝する事を責められ、知的財産を放棄するといったことが悪化し、更なる最悪を招いてしまいます。日本の報道機関がどれだけ扇動しようとも、自分の頭で考えていれば、これらの悪い影響は防げたはずです。日本の報道機関がまともでないのは明らかなのですから、消費者である私たちが正しい言動をせねばなりません。

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ネタつつき220  - 保守性という名の空気を消そう

 これは日本ではよくあることなのですが、物事を論理的に考えず、感覚で何となく間違ったことを信じている事が多々あります。どうやらこの空気を読む病は日本全体に広がっているようで、一般的には論理的に考えるとされているIT業界も例外ではありません。
 日本のIT業界には、保守性の定義を間違って覚えて、「素人同然の人」だとか「努力しない人」に合してプログラムを書く風習があります。さすがにこの悪習は、減ってきていると思いたいのですが、結構広い範囲で残っているようです。
 どうしてこうなるのかといいますと、保守性の定義を「誰でも読めるプログラムを書くこと」だと思い込んでいる、もしくは、楽に給与を得たい人がそのように経営者に吹き込んでいるからです。これは保守性の正しい定義を知っている人ならば、一蹴にする屁理屈なのですが、残念なことに、間違った定義が正しいと思いこんで、そのように経営している会社が多々見受けられます。
 よくわからない人がいると思いますので、もう少し屁理屈のからくりを言うと、「保守性の定義が誰でもなんだから、新しいプログラム言語の文法を知らない人でも読めるプログラムを書こう」、「新しい技術を知らない人がいるから古い技術だけを使えばいい」などといった主張がまかり通っています。これは他業界の人にとっては笑える話だと思います。何故ならば、製品やサービスの品質は常に向上させるのが当たり前であって、低下させるもしくは、低い水準にとどめる理由がないからです。技術は新旧ではなく、お客様の要望にマッチしたものを選ぶのがプロです。学習していないから使用しないというのはプロとは呼べません。とてもじゃないけどプロとは言えない、素人同然の人に合わせる必要はないと誰でも考えるでしょう。
 冷静に考えればわかることですが、保守性の概念がそんな馬鹿げたものである筈がありません。正式な定義は、変更容易性(Changeability)の一部の概念であり、「問題の解決を素早く行う事を表す非機能的特性」が保守性の正式な定義です。間違った定義が広まっているので、正式な定義を書きます。
 保守性とは、システムの変更を容易にするための非機能的特性(変更容易性)のうちのひとつであり、「問題が発生したときに素早く解決するために満たすべき特性」です。つまり、エラーが発生しても、被害が局所的になるようにし、一部プログラムを変更するだけで対処できるようにプログラミングするという事なのです。
 つまり、一部のIT業界の人が言うような「技術力が低い人でも読めるプログラム」なんていうものはナンセンスです。そもそも、「プログラムが読める」云々は可読性ですし、可読性にしてもプロであることを前提としています。問題に対処するためには、オブジェクト指向プログラミングといった概念を高度に使いこなさねば、高い保守性を達成できません。従って、間違った保守性を理由に、実際には保守性を下げる行為をしている会社が存在するのです。同じ業界の人間として、非常に情けないです。
 残念ながら近代日本には、「理論よりも空気を読む」という悪習があります。しかしながら、理論的に物事を考えるべき時はちゃんと考えないと、厳しい現実が待っています。空気ではなく、正しい論理を読み、厳しい現実に対処しましょう。そうしなければ、悲惨な現実が貴方を待っています。

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中の人の徒然草501 泥棒は窃盗罪を作らない

 今日、ニュースを見ていてふと思ったのですが、どうやら日本では「泥棒は窃盗罪を作らない」という事がわかっていないなと思いました。これはあくまでもたとえなのですが、泥棒に立法権を与えたら、その泥棒は窃盗罪を作るでしょうか?答えは自明で、作らないですよね。
 つまり、日本人はよく政治家の悪口を言いますが、その一方で彼が自分を律する事を期待して、戦後70年近く待っています。しかしそれは叶わないのは明白です。泥棒というのはたとえですから、もっと上品にいうと、「議員は自分たちを律する法律を作らない」といえます。これは数学的にも自明の事です。
 ゲーデルの不完全性定理が証明しているように、自己論理はその論理内で無矛盾性を判定できません。ですから、日本の政治は、日本国民の論理ではなく、彼らの閉じた世界の論理で動いているのです。これは明白な事実です。良い人がいるだとか悪い人がいるだとかは一切関係ありません。政治家の性格とは関係がなく、論理的に妥当なものを作れないのです。従って、多くの日本人は、その性格の良さゆえに、「偉い政治家が出てきて明治維新のようなことが起こる」と信じて待っていますが、そんなことはあり得ません。もし現れたとしても、彼らの世界の中では小数であり、論理的に正しくない(既得権益者の論理)とみなされますので、政治家の世界の多数決により潰されます。
 日本は建前上、民主主義国家になっていますが、実際のところ、民衆が思考停止して彼らの自由にしていますので、少数の権力者の利権や都合だけを考えて国家システムが構築されています。その証拠に、水俣病でも原発事故でも、多くの国民の意見とは正反対に、事件を起こした企業を守る方向で事は進みます。もし本当に多数決で決まるというのであれば、企業の都合ではなく、国民のために政治が動いていたはずです。この事実からも、国民主権なんてことは、建前という事がわかります。
 ただし、誤解されないように明記しておきますが、政治家などといった一部の人だけが悪いといっているのではありません。日本国民全員が思考停止し、「良かれにしてくれ」といったから彼らが「自分たちの良かれにした」だけの話しなのです。ですから、こうなるのは当たり前の事であり、当たり前のことが起こっただけなので、特定の人を攻撃するなんて言う馬鹿げたことを私はしません。自分の目の前に落とし穴を作って、自分がその穴に落ちたからといって怒るのは変ですよね。今、日本人がしているのはそういう事です。多くの日本国民が思考を放棄したから、自らの欲望を求めてやまない人の手に国が委ねられている状態というだけです。多くの国民が自ら権利を放棄したのですから、一部の人にとって都合が良いように、国全体が動くのは至極当然の結果です。日本のほぼすべての惨状はなるべくしてなっただけです。
 ではどうすればよいのかというと、「国民が政府の成果を評価して、報酬と罰を決定する。」だけでOKです。先ほどの例でいうと、泥棒には窃盗罪を作れないので、泥棒以外の人が法律を作ればいいのです。つまり、閉じた論理の中では、矛盾にできないので、外からチェックして、望む結果を生むように操作しなければならないのです。これは、すごく単純な事であり、それができないというのであれば、そもそも日本人には集団生活をする能力がないという事になります。
 日本人は温厚で人を信じやすく、「黙っていても自分のために働いてくれる」と信じて疑いません。その結果、詐欺被害はうなぎのぼりになっています。日本の現状も一種の詐欺被害状態ですから、時には考えることが必要だと私は思うのです。「信じていれば犯罪に遭わない」というのは、ただの現実逃避です。良い人であるのはいいですが、犯罪者にとって都合がよい人になるのは別物です。おそらく、両方を分けて考えない人が多いので、それがこの国の惨状を招いたのでしょう。
 自分たちの事は自分で考えるという当然のことをしていれば、起こっていないもしくは、被害が軽減されていたという事件が多すぎます。日本人たちが、思考放棄を止め、自分で考えるときが来てほしいなと切に願います。そうしないと、近い将来日本は亡ぶので、早く目覚めてほしいものです。

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中の人の徒然草500 政務調査費なんて必要?

 ニュースを見ていて改めて思ったのですが、そもそも政務調査費何て必要なのでしょうか?議員報酬が80万円もありますし、情報化社会において経費が掛かることを前提としていることはおかしいです。情報機器と人脈を工夫すれば、経費すら必要でない場面の方が多いです。それにも関わらず、「税金を使用する事が前提」なのは、余りにもおかしいです。
 また、成果が不明瞭な議員の報酬が80万円以上あるのも疑問です。通常の社会人感覚から言って、成果がなければ、労働最低賃金だと考えるのが普通です。何故ならば、労働最低賃金は、「生活をできる水準」だと彼らが言っていることですし、「市民のために奉仕する」といっているのですから、成果が上がるまでは労働最低賃金で、成果があればその都度ボーナスを市民から出すと考えるのが通常です。
 国民達にはつらい労働条件を要求しておきながら、議員たちは緩いルールでお金を遣いまくる。明らかにおかしいです。これは、時代錯誤のお殿様感覚でやっているとしか思えません。その結果、国民生活はきつくなる一方で、赤字も増え続けています。お金を湯水のように使うのが前提で、そのツケを国民に押し付けるのが前提であるのは明白であって、日本の国民が、こんなばかげた事を70年近くも放置していたのが不思議でなりません。
 何はともあれ、何も考えずお金を垂れ流し、社会問題を70年間も放置し続けていた日本は、今一度、当たり前のことから考えなければならないと思います。一刻も早く、性悪説で国家システムを考え直す必要があるといえるでしょう。放置して増えるのは、あらゆる被害(経済的、時間的、精神的、肉体的など)と、悪質な人だけです。やるべきことはやる。それは当たり前の事であって、いい加減日本は大人にならねばならないと思います。

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数学メモ 鏡面証明法と濃度についての考察

 この記事は自分用のメモです。実数における0から1の間の濃度は、自然数を超えるのかを考えるとき、カントールの対角線論法を使用するのが一般的だ。しかし、こんなことを考える必要があるのだろうか?もっと、簡単に判断できる方法があると私は思う。それで、等式を使用した、鏡面証明法を考えてみた。
 実数の0から1の間の数値が、自然数(ここでは0を含む)の濃度と等しいと仮定する。これを等式であらわすと、ℵ0 = 0.ℵ0となる。小数点以下の数値が、0~∞ならば、自然数との対応が見出されるのは自明である。しかしながら、実数には0.001のように、任意の数の0を付けた数値が存在する。従って、実数と自然数の濃度が等しいという仮定を満たすには、0を付加した値が自然数と等しくならねばならない。0は任意の数並べられるから、その数をxとする。すると、0xℵ0 = 0.0xℵ0となる。これが等しくなる条件は、0~1の間の実数と、自然数が1対1対応する事であるから、自然数が0xℵ0の数値を表現できるのか調べればよいことになる。
 先ずはxが0個の場合を考えてみる。0個の場合は、通常の自然数なので対応が存在するのは自明である。次にN個ある場合を考える。実数が1対1対応になるには、自然数がN個の0が区別できなければならない。従って、Nxℵ0 ≠ (N - 1)xℵ0でなければならい。しかしながら、自然数は先頭の値に零をいくつ付加しても値としては同値である。従って、1対1対応を満たさない。それ故に、0~1の間の実数の濃度と自然数の濃度が等しいとした仮定が誤りであることがわかる。

 以上のように、等式を基に鏡面のように比べる証明法を鏡面証明法と命名する。試しに自然数と整数についても鏡面証明法を行ってみる。

 0を含む自然数の濃度と整数の濃度が等しいと仮定する。すると、ℵ0 = ±ℵ0となる。±はプラスの場合とマイナスの場合があるので場合分けして考える。まずはプラスの場合、ℵ0 = +ℵ0となる。整数の全ての正の数は、自然数で表現できるのでこれは正しい。次にマイナスの場合を考えると、ℵ0 = -ℵ0となる。ここで問題となるは、1対1対応である。整数の場合 +ℵ0 ≠ -ℵ0は成り立つ。しかしながら、自然数の場合、符号がないので、ℵ0 ≠ ℵ0とはならない。従って、負数の対応先が存在しない。従って、整数の濃度と自然数の濃度が等しいという仮定が間違っていることがわかる。

 カントールが考えた濃度の定義では、自然数と整数は等しくなる。彼の方法は、無限の性質を利用したもので、0 →0、1 → 1、-1 → 2...というものである。これは確かに正しいのだが、方法そのものが有限であるという矛盾が存在する。何故ならば、先ほど鏡面証明法で確認したように、自然数の全てを附番した場合、マイナス値の分だけはみ出てしまうからである。人間では無限を最後まで並べることができないから、カントールの方法が間違っているとは言えないが、その発想自体が有限のものである。ならば、記号を無限個並べたらどうなるのかを考えばならないと、私は考えるからである。有限の存在である人間の思考で、無限個並べた事を考えるのは無理があるし、限りがないので無限だとも言える。しかしながら、考え方を変えれば無限をとらえることができる。
 そもそも、無限個の記号を並べるとはどんな操作なのだろうか?そして、無限に個性があるのだろうか?その2つを考えたとき、極限操作とεーδ論法が思い浮かぶ。極限操作では、無限回数演算することを認めている。また、εーδ論法では、無限を式であらわしている。という事は、無限回数処理することに抵抗を感じる必要はなく、無限も式によって定義できることがわかる。この考えを発展させると、無限回数の処理を終わりがあるかのごとく扱い、無限を式により個性付けできるという事になる。
 すなわち、鏡面証明法で考えたように、無限個の記号を並べ、それが自然数と対応するのかを考えることに正当性があると私は考える。そう考えた方が、より数学は自由となり、無限を代数式などで自由に操れるようになる。無限に対して恐れを抱いたり、何かの行為ができないなどと考えたりしなくともよい。数学は自由であり、カントールによって、無限にも種類があることが見出されたのだから、無限を代数的に扱ってもよいだろう。
 ただし、無限個の記号を並べることにより、何かできることが増えなければ美しくない。そのような数学の拡張は無駄な贅肉であり醜い。むろん、無限個の記号を並べることによりできることが増える。
 先ほどの例でいうと、0~1の実数は、自然数の濃度よりも、0の個数x分だけ濃度が高いことが判明した。これは何を意味するのだろうか?それは、実数を考えると分かる。
 実数の0.0001などといった数値は、1 × 10の-x乗の別紀法ある。という事は、自然数が足りないのは、桁数であることがわかる。従って、自然数に桁数を付加し、桁数(精度と考えるとよい)が違えば別の値を示す新しい数N++(C++のジョーク)を考えれば、実数と1対応1することが可能となる。つまり、012と0012が違う数の体系を考えればよいのである。この例からも明らかなように、鏡面証明法を使用すれば新しい数学の要素を生み出す可能性がある。それ故に私は、鏡面証明法を数学の新しいツールとして使用しようと思う。

テーマ : 数学
ジャンル : コンピュータ

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