ネタつつき91 - 正しい情報の見分け方
先に結論を書きますと、自分の頭で考える姿勢と知性を磨く訓練が大事です。そして、常に疑い、常に多くを受け入れるという一見相反する考え方が大事です。この結論は難しいと思いますのでこれから詳しく書きます。
情報量が爆発的に増え、役に立つ情報が容易に手に入る時代ですから、役に立つ情報を出来るだけ早く、沢山手に入れたいと考える人が多いと思います。しかし、情報は役に立つものばかりではありません。役に立つどころか、誤った情報も沢山あります。その情報の成否を判断するのは非常に難しい事です。
基本的かつ有名な姿勢は情報源(ソース)がない情報は信じないという考え方です。この考えはある一定の効果をあげますが、完璧な対策方法ではありません。この考え方の利点は、条件が簡単に見え、効果もそれなりだという事です。しかしながら、情報源もまた人間の頭で情報が加工されて出来た情報です。その人の主観が入りますから、情報源だからと言って正しいとは限りません。それに加えて、情報源の情報源はどうやって探すのかという課題もあります。
人間に限らず全ての生物は何らかの情報処理をしています。五感を通じてこの世で発生する全ての情報を捉え、脳でその情報を処理します。その点に盲点が存在します。全ての情報は加工されてしまうのです。ですから、その人の主観が一切入らない情報はそもそも存在しません。人の考え方は千差万別です。その人にとって正しい情報でも、他の人にとって正しいとは限りません。ですから、ある人が正しいと考えた情報であっても、他の人にとっては間違っているという事がありえます。極論を言えば、全ての正しい情報は自分が体験せねば得られないとさえ感じるでしょう。しかし、体験主義もまた不完全な考え方です。何故ならば、この考え方は自分は正しい事を前提にしていますが、自分が正しいとは限りません。全ての事に於いて正しい完璧な人間はいないというのが唯一の正しい情報だと言えるでしょう。また、一人の人間が体験できる事は高が知れています。
報源が間違っている事もあり、体験主義も間違う可能性があります。では、何を信じればいいのでしょうか?答えは簡単です。自分を含め何事も信じ切らなければいいのです。
苦労した結果得た正しい情報であっても、全ての情報には前提となる条件と状況が存在し、その状況は刻一刻と変化します。ですから、正しい情報であっても、長い期間信じ続けるのは非常に危険です。かといって、ある程度信用しなければ物事は前に進みません。従って、ある程度信じて情報を活用しつつ、誤情報である可能性を頭の片隅に置き、全ての物事は多面的で変化しやすいと考えるのがベストだと言えます。
情報化社会に於いて、情報を食わず嫌いになるのは勿体無いと言えます。しかしながら、何でも食べすぎれば(信じすぎれば)毒となります。毒にも薬にもなる情報の性質を受け入れ、情報化社会を謳歌しましょう。そうすれば、豊かな心と知識を持つ魅力的な人間になれますし、人生も実りあるものとなります。