情報とは組織/社会の血液である
普通の人は意識しないと思いますが、実のところ私達の身の回りには情報が溢れかえっております。例えば、今日の運勢も情報、ニュースも情報、奥さんの体調も情報、子供の帰宅時間も情報・・・です。情報がない空間はないと言っても過言ではありません。仮に何もない空間に閉じ込められたとしても、自分の心拍数や感覚が自分の体調に関する情報をもたらしてくれます。この様に情報はどこにでもありますが、このブログを見ている多くの人が興味を持つ情報は「仕事に関するもの」だと思います。そこで、仕事をする上の情報に限定して解説を続けます。
私達が働く職場や会社にも様々な情報が存在します。社員にとって身近な情報だけでも意外と多く存在します。給与、勤務時間、出勤時間、社会保険、休暇体制、業務内容、職位、・・・などです。もちろん、企業/組織にとって必要な情報もまた沢山存在します。取引先、商品の原価、固定費、流動費、損益分岐点、マーケット、社員のスキル、・・・
情報処理技術が発達していなかった時代でも情報は存在しました。紙の帳簿を使って金銭に関する情報を管理したり、台帳を作ったり、単純に記憶したりなどといった様々な方法が採られていました。古来から人類は情報の大切さを把握していましたが、それを十分に活かせる道具がありませんでした。
しかし時代とともに科学は進歩し、人類は情報処理機器を手に入れました。情報処理機器は、人間の頭脳の働きを拡張する物です。それにより、今まで紙などの媒体を使って管理していた情報や、重要だと分かっていても管理できなかった情報を効率的に扱う事が可能になりました。
少し話しはずれますが、重要な事なので情報処理機器について簡潔に説明します。人間は他の生物と比べると大変弱い生き物です。他の生物が持つ爪や牙といった武器がありませんし、分厚い皮膚により体を守る事も出来ません。さらに、足が遅く目が悪く、耳が悪く、嗅覚も劣り、空を飛ぶ事も出来ません。しかし人間は他の生物とは違い道具を作る事が出来ました。
爪や牙を持たない代わりに武器を発明し、足が遅い事をカバーする為に乗り物を発明し、空が飛べないので飛行機も作りました。さらに、目が悪いので望遠鏡などで視野を拡大し、小さな音もキャッチする道具を作り、臭覚が劣っていても道具で感知できます。か弱い生き物である人間は、今や種全体の力としては地球上にいる他の生物を超えてしまいました。
それでもまだ人類は飽き足らず、自身の頭脳を拡張する為の道具を発明しました。それが情報処理機器です。情報処理機器を使えば、遠隔地にいる人と会話が出来、覚えられない量の情報を保存し、人間では出来ないスピードで計算し、インターネットを使って様々な知識を得られます。その便利な脳を拡張する道具を仕事に使わない手はありません。
話を戻します。つまり仕事における情報とは、仕事や商売をする上で重要な事柄だと言えるでしょう。複雑な現代社会では、仕事や商売をする上必要な事柄は人間では処理しきれないほどの量になっています。そこで、人類はまたしても便利な道具でこの困難な状況を切り抜けようとしています。
情報化社会を迎えた今では、組織はもちろんのこと、個人も情報処理機器なしでは成立しないほどになっています。ですから、身のまわるにある全てのものが何らかの情報処理機器で成り立っています。情報処理機器は社会のいたるところに存在し、情報は日夜休むことなく流れ続けています。電話も電気も電車も全てが情報処理機器でなりたっています。
その状況を踏まえて、「情報とは何か」を一言で表すと組織/社会を流れる血液です。情報化社会の全てがよいとは私は考えていませんが、情報処理機器がなくても情報は存在します。そして、人類が能力の拡張を求める傾向はなくなりません。全ての人々は、情報処理機器を忌避せず、かといって情報に呑み込まれる事もなく、情報および情報化社会と真剣に向き合う必要があると私は思います。