ネタつつき105-批判と誹謗中傷から見える情報社会のあり方
批判とは「物事や人の行動・意見などの欠点を指摘し、正しいかどうか論ずること。」です。欠点と論ずるという部分がポイントです。欠点とは「不十分な所。短所。」であり、論ずるとは「道理を述べる。理屈を言う。言い争う。議論する。問題にする。」を意味します。つまり、対象となる人の行動と意見を正しく把握し、そこから不十分な所を導き出し、道理と突き合わせつつ議論をするもしくは問題定義をしなくてはなりません。これが出来れば大変有意義でしょう。しかしながら、それ以前に相手の事を理解しないで誹謗中傷をする人が多いです。
誹謗とは「そしること。悪口を言う事。」で、中傷とは「ありもしない欠点や失敗を技と言いふらして、人を傷つけること。」です。相手の意見や行動を理解していないので中傷としか呼べないものが多く、人格攻撃を伴う事が多いので誹謗にしかならないものが多いです。ネットや報道はこれが多いように思えます。
誹謗中傷をする人を観察してみると、相手の意見を理解する為の知識やとその人の文章を読む力がないケースと、とにかく相手の悪口を言いたいケース、そして2つが組み合わさったどうしようもないものがあります。もしかしたら、これが昨今言われている、コミュニケーション能力の不足を意味するのかもしれません。
こういった、能力不足や悪い人格から生まれる誹謗中傷は論外であり放置が一番です。ですが問題があります。正しい知識を有していない人が鵜呑みにするケースがあります。心理学者によると、特に日本では相手の言う事を疑わない性質が強いそうです。
相手の言う事を疑わないという性質は善いものですが、違う面からみると誹謗中傷の片棒を担ぐ可能性があります。日本の教育は欧米とは違い、議論の訓練をしないとう欠点がよく指摘されています。その事実から考えるに、もしかしたら議論する能力、強いては批判する能力が不足しているのかもしれません。
情報化社会を迎えた今、誹謗中傷のような質の悪い情報も飛び交っています。情報の発信者が注意するのはもちろんですが、読み手も批判する能力を身につける必要があるのではないでしょうか?そうして初めて真に情報化社会を迎えたといえるのかもしれません。