中の人の徒然草414
常に変化するのが技術者としての誇りです。それを失くしたら楽になれるかもしれませんが、それは技術者として進歩を止めた事を意味します。人間だから時には休むのも結構。寄り道するのも大いに結構。悩む事も必要。だと思いますが、歩みを止めたらそれでお終りです。人よりも歩みが遅くても1歩ずつ前に進み続けるその熱き魂があれば、その人は技術者だと思います。
長年といっても10年ちょっとだけ技術者と生きて思うのですが、本当に必要なのは技術に対する愛と情熱です。私はそれ程頭がよくありませんが、それでも心さえあれば出来ます。5歳でも80歳でも技術としての心を持てば何も問題はありません。技術は全ての前に平等です。
話しは変わりますが、何らかの事件でネットの使用について聞くたびに、気持ち悪くなります。包丁を使った殺人を聞いたら、料理人もきっと同じ気持ちになるかと思います。プロは道具を愛します。その道具を本来の使用目的と違う事に使用されると嫌な気分になるのは当然でしょう。
なぜこんな話しをするのかというと、最近の虐めはネットとか携帯を使うと聞いたからです。インターネットや情報端末はその様な目的で作られたものではありません。人を助けるために作られたのであって、誰かを傷つけるために作られたものではありません。包丁が人を殺すためにつくられたものではないのと同じです。
どうすれば、情報技術の正しい使い方が広まるのか、それが気にかかります。老後は、正しい情報技術の使い方の普及に励むかもしれません。
それはそうと、やはりオリンピックが熱い。私はあんまり見ていませんが、そういう健全な熱さは気持がいいですね。金メダルの数とかはどうでもいいです。一生懸命だったらそれだけでいいです。スポーツでも趣味でもなんでもいいから一生懸命になれる、それが人としての正道だと私は思います。