中の人の徒然草435 自分が望む報道について考えてみた
質が良い情報とはなにか、それについては質が悪い情報について考えたほうがわかりやすいので、まずは質が悪い情報を述べます。
【質が悪い情報が持つ性質】
- 個人攻撃に終始している。
- 背景について書かれていない。
- 感情的すぎる。
- 書き手の想像だけで書かれている。
- 事実がもれなく書かれていない。
まことに残念ながら、日本のマスメディアが発信する情報はこれらの性質を持っています。特に最近は政治闘争ゆえに頻繁にこの手の情報があります。どの週刊誌とはあえて言いませんが、差別意識だけで市長の一族を貶めていました。これを報道の自由と呼ぶのであれば、犯罪する自由があるのと言っているのと同じです。誰も犯罪行為を自由と考えませんから、報道の自由とは何かと問い詰めたくなります。自由とは、他人の権利を侵害しない限り保障されるものです。他人の自由を奪っておいて、自分だけは自由があると主張するのは、あまりにも非論理的です。これを許すと社会が成り立ちません。
察しが付くと思いますが、私が考える質が良い情報は、質が悪い情報とは反対のものです。
【質が良い情報が持つ性質】
- 個人ではなくシステム、もしくは論理に注目して書かれている。
- 背景について詳細かつ分かりやすく書いている。
- 書き手の感情をほとんど書かない。
- 事実だけを淡々と書いている。
- 事実をもれなく書いている。
残念ながら、日本の報道ではこの性質を満たした情報が得られません。といっても、海外の報道が良いといっているのではありません。他国は関係ありません。たとえ他国がこれらの情報を発信していなくとも、日本は質が良い情報を発信するべきです。他国の情報の質が悪くとも、それは免罪符になりません。仕事は本来そうあるべきです。
困ったことに、私たち非マスメディア業界の人間は、他の仕事がありますので、本格的に調べることができません。そのジレンマをどう解決するのか、それが日本の課題なのかもしれませんね。何はともあれ、質が悪い情報は買わない、質が良い情報にはちゃんとお金を出す、その2つを守って質が良い情報を得られる環境を整える必要があるかと思います。