情報集合論(仮名) 無限次元情報体
この結果は何ら不思議な事ではありません。そもそも情報は、やろうと思えば無限に微分できます。また、情報を無限に合成することも可能です。ならば、どの情報が分割できない情報なのか、どこが限界の情報なのかを考える事は愚問なのかもしれません。人間の情報認識能力が範囲を定めるのであって、情報は無限であり、いくらでも分割できますし、いくらでも合成することができるのです。
しかしながら、ちっぽけな存在である我々人類は、大いなる自然に対して疑問を繰り返すことにより進歩します。この世の全ての真理を理解できると考えるのは愚かですが、無限から有限の情報を取り出す方法はいくらでも考え出せます。その無限の情報を有限の情報へと写像することが学問なのでしょう。
その謙虚な心で情報を観察すると、無限に繰り広げられる情報の組にも法則性が見えてきます。生成された情報の組は冪演算回数に比例した深さを持っています。例えば、3つの要素からなる冪集合は、8個の要素を持ち、最高の組み合わせは要素が3個の集合です。すなわち、要素数=深さ(1)となります。また、情報の組は新しい要素となりますので、再度冪演算を実行すると、2の8乗=256個の要素を持ち、深さが2の冪冪集合が作れます。ということは、1次元の要素を多次元に拡張しているだけです。次元数には限りがありませんから、情報は無限次元体だと言えるでしょう。
情報が無限次元体だとわかれば話は簡単です。全ての問題を抽象化すると、人間が認識して命名できるか否かになります。目の前の現象からどれだけ情報を取り出せるのか、適切な名前を付けられるのか、この2点が正しければ後は写像するだけです。
さて、無限次元体をどうやって料理するべきか。その料理法が情報集合理論になります。それこそ無限に方法が考え出せますが、その中から人間が思考しやすい方法を選ぶ必要があります。