ネタつつき212 - 誹謗中傷を鵜呑みにする日本人体質は危険
何故ならば、論理的に考えると、その誹謗中傷する人の言葉にも真偽があるからです。日本人は無条件に真実だと思い込んでいますが、言葉の真偽は順番とは関係がないはずです。最初に聞いたことが真実だと仮定すると、順番で真偽決定されることになり、極めて非理論的な結論になります。
こういうことを言うと、「人間は感情の生き物だ」と反論する人がいます。それは真なのですが、誹謗中傷された人も人間であり、感情があります。誹謗中傷する人の感情だけ、肯定する理由はどこにもありません。
日本人は論理ではなく、順番だとか、発言者の看板(組織が言ったら信じる)で言葉の真偽を判定するので、極めて騙されやすいです。その証拠に、詐欺事件の被害総額が高いです。また、質が悪いマスメディアが存在することも、その証明になります。というのも、存在するほどお金をつぎ込んでいる人がいるからです。
それは果たして、良い事なのでしょうか?言葉の内容ではなく、看板と順番で決めるという行為は、およそ思考とは程遠いものです。その思考停止を続けていた日本は、はたして今、健全な社会になっているのでしょうか?
それは否だと思います。何故ならば、サラリーマンや主婦たちは、日常の愚痴を言っているからです。仮にそれでよい社会が作れるのであれば、不平不満はないはずです。また、解決できない社会問題もないはずです。というのも、順番と看板で全てがうまくいくのであれば、不都合なことは存在しないという事になるからです。
その事実に加え、改めて考えれば直ぐに、順番と看板で決めることの愚かさに気付きます。物事の真偽に関係なく、最初に看板を持った人が言えば全て真実だと仮定すると、その人が黒いものを白いといえば、日本ではそれが真だとしないといけないことになるからです。でも、それはおかしいと誰でもわかります。烏を白いと誰が言っても、黒いものは黒い。真実は誰が言ったかだとか順番で決まるものではありません。
纏めます。日本人は最初の誹謗中傷だとか看板の大きさで、その内容を鵜呑みにする傾向があります。しかしながら、物事の真偽は、順番だとか看板とは無関係です。自分の頭を使って、物事の真偽を見極めましょう。