ニュースを分析24回 - 美味しんぼの表現問題を考えよう
美味しんぼという漫画が、取材を基にしたフィクションで、「鼻血が出る」と書いて騒動になりましたが、非常に非理論的に騒いでいたのが気になります。前提として、漫画はフィクションのものです。それを鵜呑みにして、騒ぐというのは大人として恥ずかしいです。それに加え、前編と後篇に分かれているのも関わらず、前編だけ見て騒ぐというのは、話を聞けない人というしかありません。理性的に考えるのであれば、後篇を見ないと結論を出せないと考えるのが至極当然です。
また、政府関係者が、庶民が読む漫画の表現にまで口を出すというのも如何なものかと思います。おそらく、マスメディアの人が取材しに行ったというのもあるのでしょうが、漫画の表現を権力者が一方的に批判するのを許せば、表現の自由はなくなってしまいます。普段から表現の自由を売り文句にしているマスメディアは、何を考えて政府関係者の意見ばかりを取り上げたのか、不思議で仕方がありません。表現の自由はどこに行ったのでしょうか?
もう一つ気になるのは、鼻血が出なかった人がいるからあり得ないと騒いでいる件です。論理的に考えるのであれば、100%同じ症状が出るとは限りません。そういう症状が出る人もいれば、違う症状が出る人もいると考えるのが合理的であって、鼻血が出ない人がいるから嘘を言っていることにはなりません。他の可能性を考えず、批判だけをするのは感情論であって、大人がする姿勢ではありません。
もっと問題なのは、批判者たちが「鼻血が出た」という被害者に対して、何の心配もせず、ただひたすらに漫画を攻撃する点です。被爆した結果かどうかは明らかになっていませんが、国民が健康被害を訴えているにもかかわらず、原発を再稼働したいからといって、無暗に批判するという姿勢は頂けません。この態度から、政府の人たちが国民の健康を気にしていないと思えてなりません。
私が一番気になったのはここです。放射能の被害は、人道的見地から言って、人体実験で研究していないので、色々な部分が明らかになっていないようです。しかしだからといって、「わからないからそうでない」というのは、理論的に 妥当とは言えません。わからない事をすべて否定すれば、あらゆる学問は成り立ちません。わからないから研究するのであって、始めから「わからないからあり得ない」と思考を放棄するのであれば、人類の進歩はあり得ず、学問をする人の姿勢ではありません。
これらの事を総合して考えれば、戦前に日本を戦争へと駆り立てた反省が一切なされておらず、相も変わらず、非理論的に騒いでいるという事です。日本の言論は、一つの意見に強制される傾向があり、そこを直さねば、また同じ過ちが繰り返されます。放射能で鼻血が出る可能性と、そうでない可能性を考えましょう。そして、その症状を訴えている人の事を思いやる。そんな、理性的で温かい社会でなければならないと私は考える次第です。