ネタつつき221 - 研究とは何か
未知なるものを研究したことがある人から見れば、STAP細胞報道は全てが的外れです。未知なる事象を研究するという行為の意味をまるで分かっていないと思います。常識的におかしいと騒いだり、小保方さん一人の責任にしたり、画像が間違っているなどと騒いだりするのは非常に的外れであり、滑稽に映ります。
未知なる事象を研究するときは、既存の概念を否定することから始まります。何故ならば、既知でない物事を未知と呼ぶからです。従って、既存の概念で縛られている人の目には、許せない行為だとか、愚かな行為だとか、変人だとか、とにかく良い印象を与えません。また、否定材料を出す方は実に簡単です。否定するときは、既知の概念の否定だから、既知の概念を言えばいいだけです。これは、未知なるものを研究したことがある人にとって常識であって、この手の行為はあまりに馬鹿らしいです。
「小保方さん」という属人的な発想をしている点もおかしいです。何故ならば、自然は人間の都合で動いておらず、個人の行為の結果とは無関係に存在するからです。従って、小保方さんという一人の人間が再現できないからといって、STAP細胞という事象の否定にはなりません。それ故に、STAP細胞報道は的外れです。研究の経験がない人は、わかりにくいと思いますので、もっと詳しく書きます。
仮に、あるとき小保方さんが、STAP現象と呼ばれる事象を、偶然に発見したとします。この場合、STAP現象の真理がわからない彼女は間違った仮説を立て、色々な実験を試みて再現しようとします。しかし、人間の知力は限られているので、実験が偶然成功したことがわからず、それが真実だと思います。この場合彼女は、将来再現実験に失敗することになります。この時、STAP現象は存在するのでしょうか?しないのでしょうか?答えはお分かりだと思います。人間の失敗有無にかかわらず、真理はそこにあります。つまり、小保方さん一人が失敗したからといって、STAP現象とSTAP細胞の存在の有無が左右されることがないのです。仮に成功したとしても、それは自然の一部であり第1歩にすぎません。常に不確定要素が付きまといます。現時点で正しいと思っていても、将来否定される事が十分にあり得ます。科学は絶対の真理ではありません。
このことについて、非理論的に否定的な報道がなされていますが、人間が行える研究なんてものはそういうものだから、本来は騒ぐ必要がありません。理論的に考えるのであれば、失敗しても成功しても、不確定要素が付きまとう、不完全な理論にすぎません。そもそも、人間の理論に完璧なものなんて1つもありません。そんなものを信じて騒ぐのは非常に愚かな事です。人間を過剰評価し、自然を甘く見すぎています。従って、1人の人間をどうこう言う時点で的外れだといえます。
纏めます。日本の報道機関は、人間を過剰評価して、自然を甘く見ています。その浅はかな考え故に、未知なる事象の研究の意味を理解しないまま、非理論的に小保方さんに対して人外の力を求めて責めたり、日本の全研究者を責めたりしています。しかしそれらの行為は、始めから的外れであり、日本の知的財産を破壊するだけです。そういった愚かな行為は、日本人だけが研究できなくするだけであり、それは資源がない日本にとって深刻なダメージとなります。小さな存在である人間が、その小ささを理解せず、非理論的に日本の研究者を攻撃するという自殺行為は愚かさの極みです。未知なる事象を研究するという行為の意味を知り、そのうえで冷静に言動を行いましょう。